もう何年も前の話になるが、古本屋を一緒に巡っていたある友人が
「蛭子さんの漫画が500円で売ってる!ラッキー!」
と言って嬉しそうに買っていた。
僕はそのとき、なんでそんなもんをわざわざ買うのかと不思議に思っていた。
漫画を読ませてもらったが、絵もドロドロしているしストーリーもシュールだし、面白さが全然分からなかった。
こういうアングラな世界にはなるべく関わらない人生を送りたい、と思った。
朝起きて、クラシック音楽を聴きながらハーブティを飲むような生活がしたいと思った。
ただ、漫画の蛭子さんはテレビの蛭子さんとは違うな、と思った。
ニコニコしていて何も考えていないように見える蛭子さんではなかった。
なんというか、哲学や文学の雰囲気が醸し出されていた。
蛭子能収さんの意外な熱い性格について
『こんなオレでも働けた』は、そんな蛭子能収(えびすよしかず)さんの自伝的エッセイである。
まず、一人称が「オレ」なのに驚いた。
このエッセイは、テレビとも漫画とも違う蛭子さんだ。
熱い…。
とてつもなく熱いのである。
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蛭子能収さんの苦節時代のエピソード【三十三歳でプロ漫画家デビュー】
僕は芸能人や著名人がデビューする前の、苦節時代をどんな風に過ごしていたかにとても興味がある。
蛭子さんの人生も決して順風満帆ではなかった、ということが明らかになる。
三十三歳でプロの漫画家としてデビューするまで、いくつもの仕事を転々としている。
チリ紙交換、看板製作、デパートの配送、ダスキンの営業…。
どんな仕事をやりながらも、いつかは漫画家になってやるという夢が、蛭子さんを支えていた。
蛭子能収さんの仕事の名言『オレは、会社に自分の時間をあげることで給料をもらっているのだ』
『オレは、会社に自分の時間をあげることで給料をもらっているのだ。だから、ここを一歩出てからがオレの自由な考えを発揮する場所だと割り切っていたのだ』
~『こんなオレでも働けた』蛭子能収著より引用~
蛭子さんは「働くのはお金のためだ」と割り切っていた。
そして仕事が終わったあとに、こつこつ漫画を書いていた。
この徹底した考え方に僕は感銘を受けた。
ちなみに蛭子さんは、ダスキンの営業所で、ナンバーワンの売り上げだったらしい。
会社にコキ使われながらも、自分の心はいつも、夢に向かっている。「群れない」という意志を貫いているのもかっこいい。人と群れなくても、楽しい人生を送ることはできるし、お金も稼げるのだ。
このエッセイに感動して、蛭子さんの漫画を5冊くらい買った。
いまだに何が面白いのかが、よく分からない。
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