世の中は、名前の分からないもので溢れている。
たとえば街で通り過ぎる女性。
ああ、あの人の名前はなんというのだろうか?きっと「桃子」みたいな素敵な名前に違いない、などと妄想しても、結局答えは分からぬまま。
空を飛んでいる鳥も、道端に咲いている花も、前の人が食べている良い香りがするトルコ風の食べ物も、名前が良く分からないけばぶ。
名前が知りたい。
それは、私が常に思っていることであった。
そんなとき、iPhoneで素晴らしいアプリを発見した。
その名も【Shazam】。
街などで流れている音楽の曲名を知りたいときに、このアプリを使って携帯電話をかざせば、曲名をサーチして教えてくれるという優れものである。
最近執筆に使用しているカフェでは洋楽のポップスがずっと流れているので、曲名を知りたいと思ったことがたびたびあった。が、このアプリを手に入れてしまえばこっちのものである。
しかし、このShazamには一つだけ欠点がある。
サーチできるかどうかがかなりナイーブで、雑音が多いと曲名が感知できないのだ。まるで終盤戦のジェンガのように、繊細な扱いが必要になってくるのである。
その日私が座っていたカウンター席の隣には、お子様(5歳くらいのガキ)と母親が座っていた。その子供はカウンター席に20台くらいのミニカーを出して遊んでいたが、母親は特に注意することもなかった。
そのとき、店内に良い音楽が流れ始めた。
甘酸っぱく、それでいて濃厚で、リズムもメロディもよく、若い女性にも圧倒的支持を集めそうな素敵な曲。この曲の曲名を知りたい!シャザムだ!シャザムすっべ!!(「シャザム」で発音があっているかどうかは不明だが、私はこう呼んでいる)
私は携帯をかざした。
「ブー!!ブー!ブルルンブルルン!」
子供が嫌がらせのように声を発しながら、凄い勢いでミニカーと戯れ始めた。
『一致する曲が見つかりませんでした』
という悲しいメッセージが私の携帯に表示される。
この騒音では仕方がない。
私は気を取り直してもう一度シャザムし始めた。
「僕、大人になってもずっとお母さんと一緒にいたい!」
「なに言ってんの!二十歳になったら家を出てよね!いつまでも親のスネをかじってるなんてダメだから!!」
なにやら親子が口論をし始めた。
『一致する曲が見つかりませんでした』
それはそうだろう。
私は気を取り直してもう一度シャザムし始めた。
「私は二十歳のときは一人暮らししてたからね。あんたもそうすんのよ」
「なんでーなんでーいやだよーお母さんと一緒にいたいよー」
「ダメよ!一人で暮らすの!」
「いやだよー…いやだよー…」
『一致する曲が見つかりませんでした』
ここで曲が終了した。
怒りとも虚しさとも違う名前の分からない感情が、そのとき私には生まれていた。
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