世の中、上には上がいるものである。
わたしの常連になる技術の腕前は、世界ランキングでもトップの方に入り、テニス界でいえば、錦織圭かラオニッチ的なポジションにまで来ていると己惚れていた。
が、それは大いなる勘違いだったのだ。
近畿地方在住の友人M氏の家に遊びに行った話をしよう。
M氏はせっかく遊びに来たんだから家でゆっくり飲もうと、スーパーで総菜やらデザートやらをカゴに入れ、ここは俺が払うと、太っ腹なところを見せていた。
そのとき、わたしはある衝撃的な場面に遭遇したのだ。
M氏が、会計の時にニッコリ笑ってレジの女性店員に会釈をしたのである。すると、その女性店員もM氏に対して微笑んだのだった。
しかしそれで終わりではなかった。
会計が終わり、M氏とわたしはスーパーを出ようとしたとき、ある女性の客(極めて美人)が一人で店に来てカゴを持っていたのだが、その女性の客にもM氏は会釈をしたのだ。
その女性は、M氏に急に会釈をされて戸惑った顔をしていた。
スーパーから出て、事態が飲み込めていないわたしはM氏に
「さっきの女性客とは知り合いだったのか?」
と訊いた。
するとM氏は、
「ああ、あのスーパーで何度か見かけたことがある」
と言ったのだった。
「何度か見かけたことがある? じゃあ知り合いでもないのに挨拶をしてたのか?」
「そうだよ。たぶんあと何回か会釈をすれば、あの子とも普通に話せるようになるんだよ」
イッタイナニヲイッテイルノダコノヒトハ……
わたしはきっと鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をしていただろう。
その後M氏の家に着いたあと、本来ならばその晩は日本の腐りきった政治と、超ヒモ理論と人工知能の関係性について、朝まで語り合うつもりだったのだが、もはやそれどころではなく、スーパーで起こった不思議な体験について、わたしはM氏に説明を求めた。
「スーパーで常連になるのなんて簡単だよ。シニンさえちゃんと相手にさせればね」
「シニン?」
わたしはM氏の発言を漢字に変換することができなかった。
「視覚の視に、認識の認ね」
視認? そんな単語は初めて聞いた。
「相手に自分の顔を認識してもらうってこと。レジで会計するときに、ほとんどの客は無言なんだよね。そこで俺は必ず「お願いします」って店員さんに言うんだ。それだけで好感触なんだよ」
なるほど。
「あと、大切なのは会釈ね。お願いします、と、会釈。これをレジに行くたびに続ける」
ふむふむ。
「そうすると店員さんに自分の顔を覚えてもらえる。そっからは相手も笑顔で挨拶してくれるようになるし、話すのも簡単になるんだよ。俺はそうやって仲良くなった店員さんと、ご飯に行ったこともある」
ええええええ!スーパーのレジの店員さんと食事に!!しかも、「お願いします」と「会釈」だけで!
わたしはM氏を遠い存在に感じ始めていた。
M氏は決してイケメンではない。(わたしはご存知の通りイケメンだが)
しかしM氏の顏からは、並々ならぬオーラが出ていたのだった。
「じゃあさっきの、客に会釈をしたのも同じ方法か!?」
「そうだよ。あの子も何度かスーパーで見かけたことがあるから、たぶん向こうも俺の顔を認識してるはず」
いや、スーパーで何度か会ったぐらいの人を普通認識してないだろ。だが、会釈をされれば話は別か…。確かに、意識するかもなあ…。
M氏の行動はわたしにとって、目から鱗だった。
常連になる技術にとって最も難関なのは、店員さんへの「最初の一言」なのである。
これはとても緊張するし、いきなり「今日はいい天気ですね~」などと言っても、変な人と思われてしまう。
そこをM氏の
「会釈」
という、非言語コミュニケーション手段や、
「お願いします」
という自然なやり取りの中で、
相手との距離を何日もかけてじわじわと詰めていき、お互いの緊張が解けてから、会話を始めるという段取り。
テニスで言えばいきなり失敗する可能性が高いアタックを打つのではなく、右に打ったり左に打ったり、ゆるいラリーをして相手のバランスを崩しておいて、ロブショットであっさりと決める。
そんな脱力の攻め。
こんな身近にラファエルナダル級の化け物がいるとは思わなかった。
「師匠、勉強させていただきありがとうございました!」
わたしはM氏に対して、深々と会釈をしたのだった。
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