M-1グランプリ2018が霜降り明星の優勝で幕を閉じたわけですが、僕はジャルジャルの1つ目の「ゼンチン」のネタが一番面白かったし、彼らに優勝してほしかったですね!
(もちろん、霜降り明星さんもめちゃくちゃ面白かったですけど!)
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ジャルジャルと『カイジ』の福本信行先生は似ている
『カイジ』は「限定じゃんけん」から始まっていくのですが、あれも独自のルールのゲームをまず福本信行さんが作ったんですよね。
その中で、どうやったら面白くなるか、というのをおそらく必死で考えて、いろいろなどんでん返しが容易されていくわけです。
つまり、独創性や思い付きだけで出来上がったネタじゃないんですよ。
その特殊なルールの中での整合性が取れていないと成立しないので、ものすごく論理的に緻密に構成を組み立てていかないといけないわけです。
ジャルジャルのネタは、圧倒的な「狂気」と「論理」を兼ね備えてないと創れないネタなんです。
だからジャルジャルも福本信行作品も、今まで観たことのないような世界に連れていってくれて、かつ、きちんとその世界のルールは矛盾がなくて、納得させてくれるんです。
今までジャルジャルは「イントネーション」「ピンポンパン」「ゼンチン」と、漫才の歴史ををひっくり返すようなネタを、いくつもM-1でやってきたわけですよ。
彼らを優勝させないってのは、文学界で例えると、中原昌也さんや村上春樹さんに、芥川賞を与えなかったぐらいの汚点になると思いますね。
僕はやはり新しいものが観たい
僕はやはり、小説でも映画でも漫画でも漫才でも、とにかく、今まで観たことがないような、新しいものが観たいです。
そして、ただ新しいだけではなく、その新しさの中にルールがあり、規律があり、そのルールの中でギリギリのどんでん返しを見せてくれるような、上品な新しさを観たいんです。
ただ新しいだけだと、めちゃくちゃやればいいということになり、それはそれでつまらないですからね。
僕が求める新しさを一番やってくれたのが、去年も今年もジャルジャルでした。
ジャルジャルのネタに、これは漫才じゃないみたいな意見もあったんですけど、どう判断するかですよね。
僕はアウトコースギリギリの、ストライクだと思います。
M-1グランプリを観ると、コンテストシステムの恐ろしさを毎年感じる
観る人によって、優勝だと思うコンビは違うと思いますし、好みもあるし、審査基準も違うし、ネタ順の運もあるし、決して公平なシステムではないですよね。
立川志らくさんの審査に対してネット上で批判の意見もありましたが、たぶん僕が審査員をやっても、あんな感じで「新しさ」や「斬新さ」に加点して点数をつけまくり、視聴者から叩かれるでしょうね。
そもそも、漫才とは何かとか、笑いとは何かとか、新しさとは何かとか、みたいな哲学の話になってくるので、全員が納得するような順位をつける明確な基準は、誰にもないんですよ。
審査員とネタ順を入れ替えるだけで、今年の順位もかなり変わると思います。
ただ、コンテストのルールにいくら文句を言っても、ルールは参加者からは変えられないですからね。
だからやっぱり、表現者は、コンテストを人生の一番の目標にするのは危険なのではないか、と思いましたね。
この結果だけで人生を左右されたら、たまったもんじゃないですよね。(うまくいった人はいいですけど…)
それは芸人の方だけではなく、作家でも映画監督でも漫画家でもミュージシャンでもそうですけど、コンテストはどれも、審査に偏りが生まれます。
小説の世界で言えば、新人賞もそうですし、芥川賞や直木賞、ノーベル文学賞の決め方なんかも、かなり不合理なシステムですからね。
コンテストはブレイクできる大きなチャンスなので参加しながらも、コンテスト以外の他の方法で世間に評価される道を常に模索しながら生活していくほうが、リスクヘッジできて安全だと思いました。
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