村上龍『69 sixty nine(シクスティナイン)』の凄みを、読み返すたびに感じます。
こんなにポップで読みやすくて、ギャグ満載でゲラゲラと笑えて、恋愛もあって社会への反抗もあって青春もあってスリリングな展開もあって、その中に、これほど大切な哲学を詰め込んだ作品を書ける作家は、世界中探しても他にいるのでしょうか。
村上龍さんの作品で2番目に好きな『69 sixty nine(シクスティナイン)』の名言を紹介していきます!!
ちなみに、1番好きな作品は『テニスボーイの憂鬱』です。
今までの三十二年間の僕の人生の中で、三番目に面白かった一九六九年はそのようにして始まった。
僕達は、十七歳だった。
祭りのあとの過ごし方を、僕は知らない。
フクちゃんはそんな男で、どげんしたら女ひっかけられると?と聞くと、いつも同じことを教えてくれた。
高望みはいけん。
「大切なのはね、その精神を受け継ぐことなのだよ、ルー・リードは、世界の混沌を表現するために、コンサートで鳥や動物を使ったのだ、その精神だけでも学ぶべきではないか」
教師のくせにアホが、と僕は思った。意味などあるわけないじゃないか、いろんな小説や戯曲から適当に言葉を選んでつなぎ合わせただけだ。
十三回もゴメンと言ったのに、アダマはなかなか許してくれなかった。
「嫌いだったら、反対しなければ卑怯ですよ」
ひどい発音だ。とても英語とは思えない。こんな言語は地方都市の高校の教室でしか通用しない、ロンドンで喋ったりしたら東洋の呪文だと思われるだろう、
刑事来訪の経験を持つ人間は、人生の重要な部分に気付くことになる。すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。
泣きそうになった。泣いたらおしまいだ。自分より強い奴に、涙を見せたら、それで終わりだ。自分の気持ちとは無関係に、それは哀願になってしまう。
誰かに自分の案を押しつける時、相手の知らない世界で押しきるのがいいのだと気付いていた。文学に強いやつにはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの話を、ロックに強いやつにはメシアンの話を、クラシックにやつにはロイ・リキテンシュタインの話を、ポップアートに強いやつにはジャン・ジュネの話を、という具合いにやると、地方都市では議論にまけないのである。
三歳の幼児を襲ったやぐら太鼓の響きは、五十年代のジャスや六十年代のロックにつながり、地球の裏側まで、カーニバルの見物に行かせた。それは、何なのだろう?
それはきっと、永遠に楽しい、ということではないだろうか?
『69』あとがきの名言
『唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている』~『69 sixty nine(シクスティナイン)』村上龍著より引用~
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